森田たま『もめん随筆』(中公文庫、2008年)

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「ふるさとの若いあなた方に期待する事の楽しさ。女は郷土色が強ければ強いほど女として勝れてゐる。いつも自由で新鮮なあの町に生れたあなた方はどんな道を進まれる事であらうか。それを思ふのは愉しい」

(原文は2014年執筆)
サッポロ・トウキョウ・オオサカ。
風俗、社会、文化などに対する先進的な意識。明治生まれの女性とは思えない。「ふるさとの若き女性へ」という掉尾を飾るエッセイが仄かに明るく、気持ちがいい。
 
最近、女性のエッセイを読む機会を増やした。著者ごとに文章の風合い・味わいが変わるのは当たり前こととしても、女性の地位向上について触れないものはない。わずかに二、三行、女性の地位向上について考えるところを述べている場合もあれば、まるまる一編を充てている場合もある。男のエッセイには少ない特徴だ。
 

ただ女性の地位向上といっても十把一絡げに「解放・開放」ではないところに、著者の思想や生きた時代背景がうかがえる。ざっくりした言い方だが、古いひとには「女は女らしく、社会でその地歩を固めよ」というものが多い。ここで「男らしさ・女らしさ」に話を広げると収拾がつかなくなるので、そちらはひとまず置いておく。
 
多くの女性作家や女性エッセイストが女性の地位向上についてもれなく言及するということは、みなさんそれぞれに苦労があり、後世のためにひとことならずとも触れておきたい衝動を抑えられなかったのであろう。
 
だが江戸時代までは男女差別が少なかった面もある。抱っこ紐で赤ちゃんを我が身に結わえた男が町を歩く。そんな絵が今に残っている。町民の階層にあっては女の鼻息が荒く、虐げられていたのは男性であるとも伝え聞く。明治からの富国強兵策とそこから発展した軍国主義への傾斜が現代に続く男尊女卑の直接の端緒ではあるまいか。
 
西洋のレディ・ファーストを得々と語るひとがいるが、これの根底にはキリスト教の聖母信仰がある。日本に当てはめようとしても宗教を抜きにして語っては正直説得力がない。しかも西欧では同じキリスト教に由来する魔女狩りが猖獗を極めている(犠牲者数は数万人から数十万人とも)。こうした女性を社会的に追いつめた歴史のパラドックスを見逃すようでは、レディ・ファースト至上論もいよいよ片手落ちな我田引水となる。個人的にはあまり用いないほうが良い例証だと思っている。

 

もめん随筆 (中公文庫)

もめん随筆 (中公文庫)