ハクスリー『すばらしい新世界』(光文社古典新訳文庫、2013年)

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

「「しかし今はたったひとりでいる人間はいないからね」とムスタファ・モンドは言った。「われわれはみんなが孤独を嫌うよう仕向けている。そして孤独になることがほぼ不可能なように生活をお膳立てしている」」

(原文は2014年執筆)
ソーマ・ツカノマ・ハレマ。
ひとは管理されることに慣れる。
 
福岡と尼崎で家族が互いに殺し合う陰惨な事件があった。殺人の実行犯の背後には、彼らを統御・管理する影の暴君が存在した。これほど大勢の人びとがなぜたったひとりの暴君に唯々諾々と従ってしまったのか。事件の経過を知れば知るほど、事件の渦中にないわれわれにはやるせない気持ちが募る。
 
ひとは外部から遮断された環境のなか、圧倒的な恐怖の前には判断を棄て、服従を選択するようになる。もう一歩進むと、その恐怖の体制をつつがなく運営することで暴君に取り入ろうとする。そこに自分の存在価値を見出すようになる。
 
これの歴史的極大がナチスによる強制収容所だ。トレブリンカにしろアウシュヴィッツにしろ、それらの機構を問題の俎上に乗せるとき、われわれは圧倒的な暴力装置であるナチスに目を向ける。しかし実のところ、機構の円滑な運用には体制側に取り込まれた、あるいは取り入った歯車としてのユダヤ人たちの存在が欠かせない。
 
この事実を戦後指摘したのがハンナ・アーレントだ。同族が同族をくらうというひとのケモノとしての本質を赤裸々にした彼女の言説は、同胞であるユダヤ人を激昂させ、彼女をユダヤ人社会の裏切り者として糾弾するに至らせた。
 
ひとは管理されることに慣れる。
 
管理するためのツールが恐怖を与える鞭ではなく、快楽を約束する飴であるならなおさらだ。太平洋戦争後、日本人の関心を政治から遠ざけるために、アメリカはわれわれにテレビや映画、セックス、スポーツ鑑賞を与えたという。ここに麻薬をつけくわえたらどうだろうか。
 
ハクスリーが描くディストピアでは、だから、ソーマなる麻薬が大衆に与えられる。現状の暮らしがどれほどひどく、惨めでもそのことに気付かず、甘んじられるよう、こころを作り変えてしまうのだ。ひとを支配するにはそれが手っ取り早く、かつ確実な方法である。
 
酔っ払わせておくことは棍棒よりも百倍効果的である。

 

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

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