パトリク・オウジェドニーク『エウロペアナ』(白水社、2014年)他

エウロペアナ: 二〇世紀史概説 (エクス・リブリス)

柳田國男は「自分の野望を打ち明けるならば、現代生活のあらわれては消える日々の事実から歴史を描きたい(意訳)」と書いた。おそらく、このあたりの思想にわたし自身嵌入し、サブカルから人生一般を考察し得る思想を組み立てられないかと妄想するようになったのだと思う。
 
これは、たとえば、食事の食べ方や味付けから歴史のありようを探ろうとする文化史のようなものを指すのではなく、さらに些末な事象を積みあげることで歴史はその正体をあらわすのではないか、という考え方である。
 
これまでに読んだ本で感銘を受けたのは、フレデリック・ルイス・アレンが書いた『オンリー・イエスタデイ』とパトリク・オウジェドニークが書いた『エウロペアナ』だ。
 
今『イエスタデイ』は手元になく、こちらは記憶で書く。1920年代のアメリカは空前の大量消費社会を迎える。不動産投資ブームが起こり、すべての家庭にラジオが音楽を届ける。ゴルフ人気が過熱し、女性のスカート丈が短くなり、セックスと犯罪とスポーツを記事にするタブロイド紙が飛ぶように売れる。しかしこうしたこの世の春は1929年の世界恐慌によって終止符を打たれる。
 
「歴史の勉強」では、1929年の世界恐慌をほんの一行触れるに過ぎない。だが上記のような大衆生活のありようを並べていくことで、これに類似した日本の1980年代のバブルとその後に続く崩壊はあるいは予測できたかも知れないのだ。
 
エウロペアナ』は20世紀という「時代」を同様の手法によって示そうとした。のっけからこんな文章が読者のまえにあらわれる。「一九四四年、ノルマンディーで命を落としたアメリカ兵は体格のよい男たちで、平均身長は一七三センチだった。ある者のつま先に別の者の頭を置くといった具合に戦死者を一人ずつ並べていくと、全体で三八キロの長さになるという」これを最初から戦死者・二二〇〇〇人(=三八キロ÷一七三センチ)と書いてしまうと、歴史から人間の匂いが消え、単なる知識になってしまう。
 
第二次大戦中のイギリスの武器工場では一〇〇万人の女性が働き、一日平均一八名が視力を失い、ガス中毒で死んだ者もいた、という記述は読むものの想像力を大いに刺激する。
 
インターネットでは男性の精子が売買される。精子には提供した男性のプロフィールと音声メッセージが付属しており、女性はそれを確認し、間違いないと思ったら買う。ある日、音声メッセージを聞いた女性から割り引きの問い合わせが会社にあった。理由は、提供者がどもりだったからだ。二〇〇〇年代、アメリカにはまだ優生学が生きている。あな恐ろし。
 
スイスの歴史家・ブルクハルトもまた弁神論や救済史がもたらす「大きな物語」ではなく、受苦的人間がつむぎだす「小さな物語」として歴史を組み立てようとした。そういう視点がわたしもほしい。

 

エウロペアナ: 二〇世紀史概説 (エクス・リブリス)

エウロペアナ: 二〇世紀史概説 (エクス・リブリス)

 
オンリー・イエスタデイ―1920年代・アメリカ (ちくま文庫)

オンリー・イエスタデイ―1920年代・アメリカ (ちくま文庫)