有給を取るための心得-イェーリング『権利のための闘争』より

健全な権利感覚は、劣悪な権利しか認められない状態に長い間耐えられるものではなく、鈍化し、萎縮し、歪められてしまう。けだし、しばしば指摘したように、権利の本質は行為に存するのだから。炎によって流れる空気が必要なように、権利感覚にとっては行為の自由が必要である。行為の自由を認めないこと、制約することは、権利感覚を窒息させることを意味する。(イェーリング『権利のための闘争』(岩波文庫、1982年)p.112)

 権利が付与されたとしても、それに行為が伴わなければ、その権利は見せかけ、イカサマなのだ。例えば、有給の権利が付与されても、取得できなければ有給の権利はないも同然である。

 これを読んで、「そうだ、そうだ」と噴き上がってしまうひとのために、一応、逆の立場からの権利も書いておく。会社には労働組合さえも介入できない専権事項がいくつかある。そのひとつが業務命令権である。要するに、労働者をきちんと働かせる権利だ。労働者が業務命令に服さなければ、これはれっきとした会社に対する権利侵害にあたる。会社と労働者、権利の優先順位については詳しくないのでここでは語らない。

 権利の中身が何であろうと、請願自体はひとまず許されてしかるべきだろう。しかし近年、権利の獲得よりも、他者の行為の抑圧に主眼を置く「権利の請願」がやたらと目につく。他者の行為を抑圧する権利とは、健康のために死をも辞さぬという体の物言いであることに気づかぬというのは、よほど視野が狭窄しているように思う。

 自分にとって都合の良い行為が他者にとって不都合であることはよくある。よくあるどころか、世界の真理であるとすら言ってよい。権利と権利は衝突するのだ。そうであればこそ、「おらが、おらが」と自分の権利だけを居丈高に叫ぶのではなく、みんなの「おかげ」で有給休暇が取れるという視点もひとには必要なのではあるまいか。

 

権利のための闘争 (岩波文庫)

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東京島 (新潮文庫)

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