自殺は罪悪であるか-富士正晴『軽みの死者』より

自殺は人間のみが持つ能力であり、人間の特権であると言つた西哲の言葉にも、私は、別に大した意味も感じませんが、さればといつて、自殺は罪悪であるといふ言葉には、論理の飛躍があると思ひます。それと同時に、自殺に対しては何でも彼でも悪罵さへ加へておけば、そえで逆に自分の健全さの証拠になると思つてゐるやうな低能さは、嗤つて答へないよりほかにありません。(富士正晴『軽みの死者』)

 末期癌の患者が延命治療を断り亡くなったという経過の事実的意味だけを拾い上げるなら、これもまたひとつの自殺であろう。それを患者でない人びとが責められようか。ならば、人生において「末期癌」のごとき絶望の症状を呈したひとだけが、なぜ自殺を罪悪と断罪されるのか。

 そこには、他者を狂気と認定することで、みずからは理性・秩序を体現しているといういささかさもしい胸算用がありはしまいか。そのことを富士正晴は「低能」だと断じている。そうであるなら、あらゆる表現に「狂気」の烙印を押し、みずからは「正義」のがわにあることを露ほども疑ってみない人びとが溢れかえる今の時代は、さぞかし低能の時代といえよう。

こち亀』98巻で、両津勘吉が、人生に悩んで生きるか死ぬかを考えたら、まずは「生きるモード」を選択しろとアドバイスしている。そのうえで次に、どう生きるかに焦点をあてろ、という。これは自殺に気持ちが傾きつつあるひとにとって、大変有益なアドバイスである。自殺志願者に必要なのは、善悪による断罪よりもプラグマティックな救済である。

 

軽みの死者 (1985年)

軽みの死者 (1985年)

 
術語集―気になることば (岩波新書)

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