生きているから間違える-ダニエル・ドレズナー『ゾンビ襲来』より

権威主義国家は、国民の健康に関する危機の存在を認めることが、当該社会に対する国家統制の脅威となることを理由として、しばしば、そのような危機の存在そのものを認めない。非民主主義的レジームは、災害を予防し封じ込めるために必要な公共財に投資を行う可能性が低い。これが、権威主義国家において、災害から生じる人的損失が大きくなってしまう理由の一つである。(ダニエル・ドレズナー『ゾンビ襲来』)

 権威主義国家とは、民主主義国家に対立する概念で、独裁主義国家や全体主義国家などを意味する。大勢の意見よりも少数の威厳が国家の運営をさばく。合議というプロセスは存在しない、もしくは存在しても形骸でしかないから、決定事項に対する自己責任比率が高まる。少数がひとりを意味するならば文句なしの100%である。

 これはきつい。すべての判断がうまく行っているときならばまだしも、間違いがあったときの責任がひとりにかかってくるのだ。古代の神政国家では、王さまなり族長なりがたびたび予言を外していると、しまいには神に見捨てられた者として処刑された。権威主義国家でも同じことが起こりかねない。

 そこで、近代において独裁政治を敷いた人びとは、無謬ということを言い出した。わたしの判断に間違いは存在しない、ということだ。これは、気に入らないものすべてを狂気と認定し、理性・秩序の尖鋭化を図っていくのとも異なる。そもそもこの世界に狂気など存在しないという、そこまで突き抜けた考え方である。

 危機も病気も犯罪も一切が存在しないというならば、それらの予防・抑止に国家として予算を割く必要もあるまい。ゆえに、いざイレギュラーの事態が出来したときに、あらゆる対策は後手々々に回り、結果、手遅れとなる。

「物語」シリーズの貝木泥舟は世の中が不穏であるとき、「カオスの前の空白」をこそ論じろと語った。カオスの直前にはひとがついつい見過ごす意識の空隙が生じるはずなのだ。しかし権威主義国家においては、カオスもなければ、もちろんその直前の空白も存在しない。昨日と変わらぬ今日、不都合なき自同律のごとき日々が続くというわけだ。差異を算出しない自同律の世界とは、すなわちひとに死を強いる世界でもあった。

 

ゾンビ襲来: 国際政治理論で、その日に備える

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