学者が全体主義を牽引する-竹内洋『革新幻想の戦後史』より

私が言いたいのは、作家や学者や教授や文献学者を超人の域にまで高めようとする思い上がりである。もちろん私も知的能力を軽蔑するわけではない。しかし、そうしたものには相対的な価値しかないのだ。私としては、意志の力や性格の強さや判断のたしかさや実際的な経験の方を、社会秩序のなかでより高く買いたい。だから、知り合いの或る農夫や或る商人の方が、名ざしはひかえるが某碩学、某生物学者、某数学者よりもはるかに上だということに、私はいささかも躊躇しない。/ブリュンティエール(竹内洋『革新幻想の戦後史』(中央公論新社。2011年)p.180)

 ブリュンティエールはフランスの文芸批評家だ。彼は、わたしたちが知的職業といって思い浮かべる人びとよりも、実際的な、プラグマティックな能力をもつ人びとのほうに高い評価をおくという。無論、知的職業にみずからをも含めたうえでの、ある種の自戒を込めた告白であろう。

 ひとつの社会を俯瞰したとき、老若男女や士農工商はもとより、そうした属性にはおさまりきらぬ人びともまたそこで肩を寄せ合い暮らしている。ときに社会の摩擦ともなるエトランゼやアウトサイダーボヘミアンなどのことである。ゆえに、社会全体を覆う秩序=ルールはなるべくふんわりとした、余白なり隙間なりを多くもったものが望ましい。境界線を少しでも跨げば棍棒でぶん殴られる社会は、規格外のひとにとってもだが、規格内にある人びとにとっても、自分がいつルールに抵触するかと、決して居心地の良いものではなかろう。

 ところが、知的職業に従事する人びとは、ともするとみずからが構築した理論を現実社会よりも上におく。現実が自分の理論通りに動いてくれない場合、現実のほうを間違っているとみなし、不都合なものを夾雑物として理論から間引く。社会のありようとは、真逆のふるまいである。その結果、理論自体の完成度は高くなるが、そのなかに生身の人間は存在しないことになる。言うなれば、空理空論である。

 こうした何ら実体を反映していない空理空論をあくまでも正しいものとして、愚かな大衆に理解させるにはどうすればよいか。社会を全体主義の方向へ振り向け、  理論を権威主義的に押しつけるのだ。そう、理論は無謬なのだから「あなた」は黙って従えばよいのである全体主義が学者によって牽引されると言われるゆえんである。

 

革新幻想の戦後史

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