端を守る香車-升田幸三『勝負』より

 香車というのは端を守っとるです駒です。未熟な人はあまり動かすことをしないけど、いわば辺鄙なところで、灯台守りをしとるような駒だな。ま、北海道の北の先とか、鹿児島県の奄美大島とかで……。
 あれがおってくれるおかげで、中央でも安心しておれる。あれが妙に融通がきいて、ちょこちょこ動くようだと困ります。よほどの命令でもない限り、動かずにあそこがずっと監視してくれとるから、たすかる。(升田幸三『勝負』(中公文庫、2002年)p.39)

 このあと話は、将棋上手ほど中央ではなく端から先端を開く、ホントの戦争もそうではないか、と続く。いきなり本土で始まる戦争は珍しい。将棋と同じで、有事はたいがい端のほうから起こってくる。中央がいきなりひっくり返るようなことはない。あったとすれば、それはクーデタである。

 ここまで読んで、現今の日本の国際政治に思いをいたすひとがほとんどではなかろうか。竹島と韓国、尖閣諸島と中国、沖縄と中韓北方四島とロシア。これにアイヌと謎の運動勢力をつけ加えても良いかも知れない。カオスの前の空白は永田町にあるのではない。中央で裁可をくだす人びとのアンテナが受信しにくい周縁にあるのだ。

 人体になぞらえるならば、中央省庁とは脳のこと。周縁部とは、無論、外部とじかに接触している感覚器官のことである。中央省庁は、その機能からも、その立ち位置からも、感覚が拾い集めてくる環境情報に対して間接的にならざるを得ない。間接的とは知りうる情報が伝聞であり、事の本質がブラックボックスになった状態を指す。ゆえに人体の場合、環境情報を5つの経路、すなわち五感から幅広く集め、脳の判断ミス低減につとめているのである。

 今ならこの五感に相当するのが離島に配備されている自衛隊の人員や基地施設ということになろう。これに対して、国境線近くに武力を配備するなという意見がある。相手国を刺激するからだという。もう一度人体になぞらえて考えてみる。前線の警戒にあたる感覚器官をなくすのは、ひとにメクラやツンボを強いるに等しい。引いては、脳たる中央省庁を判断ミスへ仕向ける所業といえよう。

 かつての大本営は「間接的」の権化であった。末端からあがってくる情報を軽視したればこそ、また末端にあって戦った兵士たちをも粗末に費消したのだ。今、間接的であってはならんとする動きに反対するのは、大本営復活に対する是認のようにも受けとめられるが、そうではないのだろうか。

 

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