参照点能力と光の弱い星-西村義樹・野矢茂樹『言語学の教室』より

 ラネカーは、人間には参照点能力というものが備わっていて、メトニミーをその能力の現われだと考えるんですね。たとえば、遠くにいる猫を見ていて、隣にいる人にその猫を見てほしいと思ったときに、直接は見つけにくいので、猫の横の木を指して「あそこに大きな木があるでしょう、その下に猫がいるじゃないですか」と言ったりする。その場合に、まずとっかかりとして注目する対象を参照点、それを利用して最終的に指示する対象を標的(ターゲット)と言います。いまの例だと大きな木が参照点で、猫が標的です。(西村義樹野矢茂樹言語学の教室』(中公新書、2013年)p.154)

とても光の弱い星を見たいときには、視線をちょっと脇へずらして見なければならない。なぜなら、そうしたほうが弱い光に対する目の感度が高まるからだ──そして、まともに見ようとしたとたんに、星は消えてしまう。(M・ミッチェル・ワールドロップ『複雑系』(新潮文庫、2000年)p.590)

 最初にメトニミーの説明がいるだろう。不良が気の弱そうな同級生を呼びつける。

  • 「おい、メガネ」

 こう書いて、本当に眼鏡に呼びかけていると思うひとはいない。呼んでいるのは眼鏡をかけた「メガネくん」のことである。直接ではなく、対象の一部(参照点)を利用して目的のもの(ターゲット)を指す、こうした表現方法をメトニミーという。こんな例もある。

  • 「リメンバー・パールハーバー」、こう言われて思い出すべきは真珠湾そのものではない。真珠湾に対する「日本人の奇襲行為」だ。この場合、「リメンバー・アリゾナ」でも「リメンバー・ゼロファイター」でもよいわけだ。
  • 心臓を捧げよ!」、これで本当に心臓を取り出されても、楳図かずお氏のマンガになってしまい、困ってしまう。心臓によって支えられた生命、つまりエレンやミカサのすべて、全身全霊を捧げよと言っている。

 ひとには、あからさまでない物事へ強く惹きつけられる性質がある。見るなと禁止されるほど見たくなってしまうカリギュラ効果や、完全なものよりも不完全なものが強く印象に残るツァイガルニク効果といった認知バイアスはそのことを示す。剥き出しよりもワンクッション置くことに妙味がある。アダルトビデオのモザイクや古諺の「夜目遠目笠の内」もこの仲間だし、メトニミーはひとのそうした性質を利用したレトリックといえよう。

 しかしわたしたちが暮らす社会には、見えているものだけを、見せているものだけを信じてほしい人びとがいる。例えば、政治家。表沙汰にした物事から隠れた真相にたどり着くようなことがあってはならない。そうした人びとにとってメトニミーは悪手といえよう。だから識者が集まり、ことさらに深刻な顔をして問題提起しているときにも、わたしたちの意識は常にそこで語られているトピックの外縁を探ってみるべきなのだ

 光の弱い星は網膜の隅でしか捉えられないのだ。 

 

複雑系―科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち (新潮文庫)

複雑系―科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち (新潮文庫)

 
読まない力 (PHP新書)

読まない力 (PHP新書)