姿なき神々が現人神になる-安丸良夫『神々の明治維新』より

薩長倒幕派は、幼い天使を擁して政権を壟断するものと非難されており、この非難に対抗して新政権の権威を確立するためには、天皇の神権的絶対性がなによりも強調されねばならなかったが、国体神学にわりあてられたのは、その理論的根拠づけであった。(安丸良夫『神々の明治維新』(岩波新書、1979年)p.4)

 古来より伝わる日本の神々には、「匿名性」「無署名性」「ことさらな言挙げをしない」「自己の個性を主張しない」といった特徴がある。みずからの姿を仰々しく示現せず、必要に応じて人びとの暮らしを介助する。したがって、現人神(あらひとがみ)などとして大衆に祀ることを強いる戦前のありようは神々の本義からは遠く隔たったものだったと言わざるを得ないわけだ。

 そんな姿なき神々に輪郭線が描き添えられ、あまつさえ尊顔を拝するは不敬などといったイデオロギーまでがどのような経緯を経て生じたかといえば、その淵源は明治維新にあったらしい。

 薩長を筆頭とする倒幕派は明治政府を樹立したまではいいが、いかんせん田舎大名ですらない貧弱な出自は隠せない。そこで国家のシンボルとして天皇に不可侵の権威を与え、自分たちの後ろ盾とした。こうした明治政府の専横的な動きに庶民も戸惑ったことは察するにあまりある。

新たに樹立されていった神々の体系は、水戸学や後期国学に由来する国体神学がつくりだしたもので、明治以前の大部分の日本人にとっては、思いもかけないような性格のものだった。伊勢信仰でさえ、江戸時代のそれは農業神としての外宮に重点があり、天照大神信仰も、民衆信仰の次元では、皇祖神崇拝としてのそれではなかった。(安丸良夫『神々の明治維新』(岩波新書、1979年)p.7-8)

 皇室を大事に思うにしても、こうした基本的な事項は抑えておく必要があろう。

 

神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)

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神と仏 (講談社現代新書)

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